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向島百花園

 投稿者:櫻子  投稿日:2014年 5月30日(金)14時24分48秒
 







滋賀から妹がやって来ることになって、ゴールデンウィークのことです。
彼女は土いじりが好きで、旦那さんのお母さんが亡くなった時に畑一枚をもらいました。
今年で5年くらいになるでしょうか。

結構広い畑なので、甥や旦那さんにヤンマーの耕運機で耕してもらい、畝も作ってもらって
います。そこへ野菜や花を植えて楽しんでいるのです。で、花の展覧会があると聞くと、
車でどこへでも出かけます。静岡でラン展があった時も、「行ってきた!」と事後に電話を
してきてました。

で、向島百花園がいつもNHKで放送されているから行ってみたいと、東京に来る前にラインを
してきました。行ってみて花がなかったりしたら気の毒なので、2日に私が下見に行って
きました。

京都にすむ私は、園と名前がつくと、どうしても植物園と比較してしまいます。百花園は
京都府立植物園の芝生の広場の半分ぐらいの感じでした。梅と萩が有名だそうですが、
花は江戸時代の建物があるほどなので、どちらかというと和の花が多いでした。今は
ほとんど葉ばかりでした。

でも、京都でも見たことのないような花があり、それだけはきっちりと写してきました。
めまいが残っている私なので一人でゆっくりと園を回ります。そこで見つけた「くろばな
ろうばい」、黒部の黒百合を思わせるようなチョコレート色の蝋梅でした。こうして長く
生きていても知らないものってあるんですね。

私のカメラ携行散歩は、足が萎えないためのリハビリみたいなものですが、趣味があって
よかったと思います。ふくらはぎは、第二の心臓と言うらしいです。ここを鍛えておくと
長生きできるそうです。

弟が「ねえちゃんは長生きできないでー、〇〇(妹)は長生きするわー」と言って、電話で
笑います。ねえちゃんは美人だという意味なんだそうです。佳人薄命と言いますが(笑)、
弟のお世辞を素直に受け止める事にしました。(爆)
薄命でなく充分長生きしているのですが……。




 
 

禍福は糾える縄の如し

 投稿者:櫻子  投稿日:2014年 5月30日(金)14時23分58秒
 



私も、昨年の二月に回転眩暈で救急車で運ばれ、一ヶ月間入院しました。
回転眩暈は5日間続き、ベッドから起き上がれない状態でしたが、徐々に良くなり、あとは
眼振が残りました。府立医大で精密検査の結果、三半規管が異常事態と言うことで、脳などの
病気はなしということでした。

今年の一月、何か不安を感じていたのでしょうね、娘たち家族が帰ったあとから、また回転
眩暈が始まりました。左を下にすると回るのです。それがずっと続いて不安になっていました。

三月の終わり、故あって東京の娘宅に滞在する事になりました。東京へ着いたその夜から、
左を下にしても回転眩暈が起こらなくなりました。禍福は糾える縄の如しとは良く言った
ものです。本能的に不安を感じていたのでしょうね、回転眩暈はストレスが原因の事が多いと
ドクターの説明でしたが、実感しました。

一つの大きな不安が心の中を占めていましたが、それがなくなるとピタッと治まったのです。
人生いろいろな事が起こります。決して平坦ではない道です。今、私は最高に幸せと思って
いても、1分後に何が起こるかわかりません。

瀬戸内寂聴さんがテレビの番組の中で言っていました。「今夜死ぬかも知れないから、大好きな
美味しいお肉をたくさん食べるのよ」と。
寂聴さんは、43歳で亡くなった義姉の葬儀の時、葬儀委員に名を連ねてくださってました。
ほんとうにそうです。 だから、私は毎朝の「いってらっしゃい」をする時、笑顔で送り
出します。

いつ別れるとも知れない毎日、笑顔で別れていれば後悔は無いと思います。喧嘩しながら
「いってらっしゃい」をしてそれが最期となるのは悔しいですもんね。と、達観している
ような私ですが、それでも毎日、葛藤し、懊悩しています。

それが私を美しくしてくれるのではないか……と(笑)
禍福あざなえる刺激的な毎日を楽しみながら送っているのです。 (^^)




 

花子とアン

 投稿者:櫻子  投稿日:2014年 5月30日(金)14時22分46秒
 






今、NHKの連続テレビ小説は「花子とアン」です。
花子は私の亡くなった母と同じ名前。そして坂本九ちゃんの娘さんも花子さんでした。
花子…とタイトルが出ると、母の事が思い出されて、目がうるんできます。

母も本が好きな人だったので、その血を受け継いで私も本が好きです。
学術書ではなく、小説のほうですが……。文章を書くことは苦手ではありません。

娘たちも文字を書くことは好きなようで、そのあたりは遺伝しているのかもしれません。
娘たちとは、スマートフォンのLINEでコミュニケーションをはかっています。
スマホで写真を撮り、それをすぐに貼り付ける事ができるので便利です。

言葉の調子や貼り付けてある写真で、娘たちの日常が良くわかります。
少し元気なさそう、お仕事忙しそう……と感じた時は、頃合いを見計らって電話を入れます。

夫に私は子離れしていないと言われる事がありますが、父親が56歳で急逝し、母も早く
亡くなっている私は、生きている間は娘たちを見守ってやりたいと思っています。
「見守り隊」ですね。(笑)

三人とも同じように育てました……と友達に言ったら、環境も年齢も変化しているから、
全て同じではないよ……と言われました。そりゃそうですよね。(笑)目からうろこです。

性格も似ているようでちょっと違うかなみたいな感じもあります。いつか私もこの世に
さよならをしてあの世に行くのでしょうが、娘達が私を思い出してくれる時があるの
だろうか……なんて思います(笑)

この頃は「ままも族」というのが流行していて、母と娘が買い物や趣味のフラダンスを
一緒に習ったりと、ともに緒に行動する事が多いそうです。娘と二人で出ると、「ままも
族」になっちゃうね……と笑いあいます。

三人とも娘で良かったと思っている少々子離れしていない母親です。(笑) 亡くなった
母は一人っ子だったので、子どもはたくさんつくりなさいねと良く言ってました。そして、
母の言葉「人を呪わば穴二つ」「夫婦の不仲は米櫃から」はずっと心に刻んでいます。

亡くなった母と「ままも族」になれなかったけれど、来世もまた親子で生まれてきたいと
思います。
今朝、夫から電話があり「サラリーマン川柳は面白いぞ。<うちの嫁後ろ姿はフナッシー>
だって」、と大笑いしていました。 (--)






 

友達は財産

 投稿者:櫻子  投稿日:2014年 5月30日(金)14時21分32秒
 






昨年2月に眩暈を発症してから、「奥さんじゃなくてお外さん」と言われていた私が
同窓会を欠席し、友達にお茶を誘う事もなくなっていたので、
「どうなったん? よほど悪いの?」とみんなが心配をしてくれているらしい。

小中と一緒だった友達は電話をしてきてくれて、私の元気な声を聞いて涙ぐんだ。
「寝たきりになってしまっるのか……と心配したよう~~」と。
PTAで一緒だった友達も「具合どうお? 無理したらあかんよ。体、大事にしてね」と、
涙声だった。

電話は元気な声を出す事ができるけれど、今の私の実際を見る事ができないから心配する
のだと思われる。

メールや電話で「大丈夫?」と問い合わせてくれる友達、ありがたい。心がうるうるする。
私はホームシックにかかっているのか、亡き両親に会いたいと思っているのか、両親が夢に
まででてくる。なにも言わずに私をじっと見ているだけの夢の中の両親。私の事を心配して
くれているのだろうか。


明日は歯医者さん、今週末は弟と姪との食事、そのあと、姪が泊まりに来てくれる。姪の
誕生日なので、サプライズを弟に頼んだ。元気なら私が全て企画するのだが……。
元気なら、一人でどこへでも行く私だが、迷子になりそうでなかなかでかけられない(笑)

近所のスーパーで応募したバスツァーが当選し、6月には夏の花見ができそうである。
「お母さんはそういうの良く当たるねぇー」と娘がびっくりしている。

バスがすぐそばからでて、歩く事も少なそうなので、思い切って行く事にした。
せっかく当選したのを捨てるのはもったいないの、これも本音(笑) たくさん、花の
写真を撮ってきたいと思う。

6月に入ったら、友達が2名、ランチをしようと言ってきてくれたに、二人とも長く会って
ない人達、こんな遠い所にいるのうれしいかぎりである。
でもお互いどんなふうな感じになっているのでしょう。(笑)会うのは嬉しいけれど、
ちょっと怖い気もする。(笑)




 

触発されて・・・

 投稿者:櫻子  投稿日:2014年 5月30日(金)14時20分41秒
 



中学生の頃、漫画家になりたいと思った事がある。
それを知った先輩が、漫画家になるための指南本を送ってくれた。
それを読んで、こんな気の長い事は私の正確ではできないと思いあきらめた。

でも、絵は好きで展覧会へ行って見たりするのは大好きである。
若年性アルツハイマーを患ったカメラマンが自分の写真をネットにアップできなくなった。
私の掲示板にも素晴らしい絵を貼ってくれた人である。

病の進行とともに彼の内面も変化し、実際の彼を知らないので人格が変わったのだろうかと
少し避けている自分がいた。過日、リアルの友人の案内で初めて彼と対峙した。ネット上で
8年近くやり取りをした人だった。

「写真を撮る事を生業にしているので、世の中へのお返しです」言って、私の多くの友人達の
掲示板のタイトルを無料で作ってくださった。

今ではそのあたりの事、どれだけ記憶の中にあるのだろう。
「櫻子さん、覚えていますよ。貝が二つある櫻子さんでしょう……」と
歩きながら話してはいたが。

話は同じ事の繰り返し、私は医者ではないので、今彼がアルツハイマーの病のどのレベルの
段階なのかはわからない。依然掲示板で交わした、打てば響くような話はもうできなかった。
彼は自分の絵を見せて、「才があるでしょう」と何度も言った。

以前の彼はシャイな人だったから、自分をほめるというような事はしなかった。
これが病気なのだと思いながら、私もまた多くの人もいつ罹患するともかぎらない病だと
思った。

カメラを手放して、スケッチに転向した彼。そのスケッチブックを見せてもらった。
写真を撮る人は画家と一緒だと思う。ファインダーの中に絵があるのだから。
それをカメラで取り出す事はできないけれど、手で描くことはできるのだ。

昨今「恩返し」という言葉がスポーツマンや芸能人の間でよく使われている。
私も彼に良い写真はほめてもらい、私の拙い俳句や短歌とコラボレーションしてもらった。
彼が病気になるまでの数年間、芸術の話に花が咲いた。やる気も出させてもらった。

そのお礼を兼ねて、彼のスケッチを少しずつ彼の掲示板にアップしている。
「友人が掲示板に貼ってくれたよ」と電話をしてくれると掲示板にコメントがはいる。
そのコメントを読む限りでは、普通の人となんら変わりはない。

しかし、連絡がないかぎり掲示板を覗く事はできなくなったようである。
彼の水彩画に触発されて、私も描いてみようと思う。ダイソーで絵の具や筆などを揃えた。
今、自分は若いと思っていても、死や病はいつ訪れるかわからない。

明日はないのだと思って、新しいことを始めようと思う。



 

山菜の頃

 投稿者:櫻子  投稿日:2012年 5月12日(土)09時25分6秒
編集済
 



家人があちこち出張に出かけるので、この時期、山菜の頂き物が多い。岡山鳥取から帰宅した時は、「コシアブラ」という珍しい山菜を貰ってきた。家人の実家は京都の山間部だが、私が嫁してきてから30年、コシアブラという名前は聞いたことがない。

結婚した昭和50年代は降雪が多く、漬物蔵には多くの樽が置かれていた。大根、白菜は言うに及ばず、山菜を糠漬けにしたものが常備されていた。 雪で埋まって平になった畑には、3メートル近い竹があちこちに刺してあって、雪の中で越す野菜の在り処を示してあった。

娘達も私も大好きな虎杖(いたどり)もつけてあった。それらは春の間の仕事で、義母や嫂や姪がせっせと蓄えたものである。都会からの訪問者はその手間暇かかったものを嬌声をあげて頂くわけである。

近年、降雪も少なくなり、また付近にスーパーができ、自家用でどこまでも行ける様に、山の道路も雪かきされる時代になると、冬のための野菜の保管も必要でなくなってきた。
若い世代は、手間暇かけて冬ごしらえをしなくても良くなり、また嗜好もどんどん変化して、昭和の時代の味覚は失われていくような気がする。

大正時代に生まれた義姉は、いまでも山菜の糠漬けなどをしていて、時々料理しては夫に持たせてくれる。懐かしい幼い頃の味に兄弟舌鼓を打ちながら、昭和の戦後を懐かしんでいるようである。

くだんのコシアブラの料理法はネットで調べて、天ぷらとおひたしにすることにした。夕食の一品となったわけだが、これが格段においしかった。味はタラの芽と同じでもちもちしてなんともいえない旨みが口中に広がる。山菜の女王と呼ばれているとネットに書いてあったが、ほんとうにそのとおり。

数日して、夫が言った。コシアブラは初めてだと思ったがそうではない。数年前、同級生の家で小学校の同窓会をした時、それが出てきたというのである。その時は気づかなかったのだが、思い出したそうである。コシアブラは高い枝の先にあるので、あまり採れない。だから馴染みがなかったのだと。同級生が高い枝を竹ざおでひっぱって、枝の先の若い芽を採ったのを思い出したらしい。

夫は中学生から、市内に出てきているので、実際に山の子だったのは小学校6年生までである。あとは夏休み、冬休みに帰るだけで、市内で暮らしていた。体が弱かったせいもあって、極寒になる山の生活は耐えられないと年老いた両親は思ったのかもしれない。
お陰で、娘達は父の通った中学で学べたのであるが……。

琵琶湖の平野で育った私は、山菜が大好きである。山村に嫁に行ったなら、一日中山の中を歩いていたと思う。結婚して数年、子どもが出来なかった間は、毎年春になると夫の実家へ連れて行ってもらって山菜を採るのが楽しみだった。

嫂には、採るのは楽しいが、あとの始末が大変やで~と良く言われた。採り方は習ったけれど、保存の方法を習っていない。それが残念な事ではある。しかし、湿度があって暑い市内では樽漬の保存は難しい。やはり夏でもひんやりするほどの温度でないと腐ってしまうらしい。そういう意味では、山は自然の冷蔵庫の役目をしていたのだろう。

昨日は、義姉から蕨の灰汁抜きをしたものが届いた。お肉や魚がないと食事ができない私も、この時期は山菜だけで堪能できるうれしい時期である。




 

山茶花

 投稿者:櫻子  投稿日:2011年 3月18日(金)07時08分45秒
 

         三月の午後の山茶花


  http://userimg.teacup.com/userimg/6116.teacup.com/sakurako_2/img/bbs/0001242.jpg




 

匂い

 投稿者:櫻子  投稿日:2010年 9月10日(金)11時32分16秒
 

有名なお茶の先生が住んでいた。
ちゃんと奥様がいた。

ある夏の日の洋装。
頭には、マイフェアレディのようなつば広の帽子、吾亦紅を数本束ねて飾りにしている。腰には真っ赤なミニタイトスカート(紅絹の色)かろうじて股間がかくれるくらいの短さ、腿は黒い網タイツ、足には底の厚いサボ、そして手にも黒い網の長手袋。もちろん口紅は真っ赤、耳からはゆれる鎖のイヤリング……。

どこから見ても飛んでる「おばあちゃま」だった。

これがお茶の先生である。あるとき、御所の芝生の上でお茶会をした。マンボの曲を流してお茶をたてて、警察に逮捕されていた。
京都新聞の京都欄にでかでかと載っていた。

今は無い、風月堂という喫茶店で、毎朝モーニングを飲んでいた。で、先生の茶房へ招かれて、友達と赤ちゃんを連れてお茶を飲みに行った。うちから5分のところ……。薄に囲まれた木の板には、「西洋茶処」と書いてあった。

茶房はイギリスガーデンみたいな庭に囲まれていた。平安時代のような蔀度があって、押し上げると、うっそうとした庭を眺める事ができた。もちろん中は畳、お座布団に座って珈琲を頂いた。

赤ちゃんが可愛いといって、先生は「赤心誕生」という字を色紙に書いて、誕生のお祝いですと言ってくれた。達筆だった。


娘が二十歳ぐらいになった頃、先生と冬の朝、道で出会った。オーソドックスな真っ黒なカシミヤのロングコートを着ていた。
「孫と一緒に着られると思って買ったのに、孫が嫌がるのよ」と言う。
「どうしてですか?」って聞いたら、
「おじいちゃんの匂いがするから、いやなんだって」と笑った。

そっか、先生はお婆ちゃんじゃなくて、お爺ちゃんだったんだと、思わず声を上げて笑ってしまった。先生は目で睨んできた。

帰宅して娘に話したら、娘は即座に言った。
「そりゃ、彼氏に怪しまれるからあかんわ、お爺ちゃんの匂い」

吾亦紅を見ると、先生の事を思い出す。下鴨の有名人、ナンバーワン……。茶道の世界では異端だった。



 

比叡おろし

 投稿者:櫻子  投稿日:2010年 6月18日(金)14時46分26秒
編集済
 



時々散歩に行く松岡正剛の千夜千冊のサイト。
今朝は、井原西鶴の独吟を検索するため、彼のサイトへ行き、
そこからヘミングウェイ、そして比叡おろしへとたどり着いた。


   ***************


アーネスト・ヘミングウェイの
『キリマンジャロの雪』

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1166.html





  比叡おろし

         作詞作曲 松岡正剛


   風は山から降りてくる
   レタスのかごをかかえて
   唇はくびれていちご
   遠い夜の街を 越えて来たそうな

   うちは比叡おろしですねん
   あんさんの胸を雪にしてしまいますえ


   風は琵琶湖に落ちてくる
   北山杉を下に見て
   夕焼けはよそゆきマント
   光る銀の靴を はいていたそうな

   うちは比叡おろしですねん
   あんさんの胸を雪にしてしまいますえ


   風は今夜も吹いている
   死んではだめよと言いながら
   さよならは小さなみぞれ
   そっと京都の闇に 捨ててきたそうな

   うちは比叡おろしですねん
   あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
   うちは比叡おろしですねん
   あんさんの胸を雪にしてしまいますえ



比叡おろし 歌:小林啓子
http://www.youtube.com/watch?v=RaeIC4MKClk&NR=1





 

与謝野晶子

 投稿者:櫻子  投稿日:2010年 5月28日(金)12時41分56秒
 

以前、渡辺淳一の「君も雛罌粟 われも雛罌粟 文春文庫」を読んだ。
渡辺淳一の小説はあまり好きではない。女性の心を書いているようだが、結構乖離して
いる。私が女性的でないのかもしれないが……。女性の描写になると、男が考えた女を
描いていると思ってしまって、先に進めない。

今回、新潮文庫の「みだれ髪 与謝野晶子 監修松平盟子  あとがき・田辺聖子」を
読んだ。文庫本をバッグに一週間、何度も読み返す。
「君は雛罌粟……」のストーリーが蘇り、あの頃、この頃と点と線をつなぎながら、短
歌を読んだ。

奇しくもこの間、私の恋の句に対して、ネットの友人からメールが来た。
「いつも恋をしている櫻子さんのつやっぽい句が好きです……」と。夫与謝野鉄幹を一
生愛し続けた晶子の短歌を目の前にして、私の句などいかほどのものかと思うが、恋す
る心は比べるものではなく、晶子に同感する心はなお溢れていく。

「食べるだけでは人は生きて行けないのです」、恋をもぎ取られた寝たきりの青年の話
から、友人と話をしたが、それも晶子の「みだれ髪」を思えば、深く頷く事ができる。

恋の中に身を置く事は、針の筵に座っているような気分になることもある。しかし、そ
れさえも快感に変る恋というものはなんと不可思議なものなのだろう。

比べるべきもの、あらゆるものを天秤の片方の皿に載せても、恋のほうがはるかに重い。
そしてその恋の一喜一憂がその時を左右する。その愛が人生を左右していると言っても
過言ではないような気がする。


 

 投稿者:櫻子  投稿日:2010年 4月15日(木)04時36分32秒
編集済
 

「数えられないほど、恋をしてきたわ」と彼女が言った。
「それは恋じゃないでしょ、単に身体を重ねただけの事でしょ」別の友人が言った。
「あなたはどうなの?」向かいに座っている友人が私を見て言った。

まあね、と私は笑ってはぐらかした。
人に自分の恋を語るほど、私は素直でないかもしれない。
「好ましく思う」から、「死ぬほど好き」まで、恋のグラデーションは様々。
どのあたりを恋と呼ぶのか、人によって違うし……。

女性が生き生きと輝いている時、その時、間違いなくその女性は恋をしている。
身だしなみがさらに良くなり、微笑みが余裕のあるきらめきをしている。
輝いている時は双方向の心が通い合った恋。
少し面やつれしていたら、それは一方通行になっている。
と、私は思う。

男は狩人のように、視線をあちこち転じているから、そんな男を見る事で女は疲れる。
女は闇の中の蝋燭をみるように、一点を凝視しているから、それが許せないのだ。
ジェラシーの渦の中に身を置くことになる。

まれに人のものを欲しがる女性がいる。
隣の芝生は青い……、あれを地で行く人だ。人のものが良く見えて仕方がない。
だから、割り込んで行く。自分の魅力をフルに生かして、相手を虜にする。
それで、なびいていく男なら仕方が無い。あっさりと捨てよう。
そんな男を選んだ自分が悪いのだから……。

とは言いつつも、それが出来ないのが情念の世界。
それが出来ないほど、相手にのめりこみ、魅力の虜になってしまったのだから。
ならば、帰ってくるまでひたすら待つしかない。

仮想空間に恋愛物を書いている身としては、恋は「暴れている」ほうが面白い。
だから、三通りの女性を演じて、句や、詩や、短歌を書いている。

その一、ひたすら相手を愛し、相手からも愛されている女性。
その二、相手を翻弄して楽しんでいるわがままな女性。
その三、相手の裏切りに逢いながらも、ひたすら思い続ける儚げな女性。

どれが、私の等身大なのだろうと、読者は思うかもしれない。
あるいは、今、私はこの心境だわと、共感されるかもしれない。

そんな事を思いながら、言葉を探し、ストーリーを綴っていく。
読者を、私の舞台に引きずりこむ事ができたら、それが私の至福、私の恋の成就となる。





      ECSTASY     作:櫻子


     底知れぬ深淵をのぞいた二人に
     果て知れぬ闇の深さが待っていた
     手を携えて暗い道を共に彷徨したのに
     いつの間にか逸れて君の姿はない
     信じていたものは閉ざされて
     開いているのは獣たちの巣窟
     嘲り笑う声は巣窟にこだまし
     叫びは耳をおおうばかり


          甘い香りに導かれて闇をさすらい
          たどり着いた花園に倒れ込む
          君の声を頼りに花園を進めば
          皮膚を引き裂く薔薇の棘海
          差し伸べた手に冷たい指先
          重ねた唇にもはや息はなく
          鼓動も失せてふたり重なる
          薄れていく意識に薔薇は蘇える
          その時、闇が白く蠢きだした





 

毎日のネット・・・

 投稿者:櫻子  投稿日:2009年12月23日(水)11時43分47秒
 

パソコンを立ち上げると、gooのHPが出てくるようにしてある。
そこで毎日のバイオリズムを見て、今日一日の注意ごととポジティブな面を取り出す。
その後、yahooのニュースへ行き、そしてメールを確認する。これが私のパソコンの1、2、3である。

そして、トピの一覧を見て、更新があれば覗き、書き込む。最後に、「毎日行く掲示板」のファイルを開いて、数ヶ所の掲示板を散歩する。
書き込む時もあれば、そのままの時もある。余韻を楽しんでいるふうな掲示板には、書き込まずじっと観察。こちらの書きたい気分が動いていれば、マイピクチュアーを開いてどの写真を貼ろうかと、考える。

この考える時間は楽しい。相手の顔(ほとんどが知らない人なのだが)を思い描いて撮り溜めた中から一枚を選ぶ。
珈琲を傍に置いて、言葉を紡いでいると、幸福な気分になる。


二つの掲示板に書き込めなくて久しい。無くなった掲示板を元にもどすのは、難しい。作った本人がいなくなった場合、そして、まちがって削除された場合……。うーんと唸ってしまう。
後者の場合はもう一度本人がやる気を出さないとできない。本人には何も言わないが、画面のこちらでは、「どないしはってん?」と独り言を言っている。

今朝は、テレビで桂離宮の特集があった。数寄屋造りの桂離宮の内外が四季に渡って映し出されていた。京都にはそれほど雪が降っていないから、雪にうずもれた離宮の映像はずっと昔のものに違いないと思いながら、見入った。

うん、あんなきれいな風景を撮ったら、どこの掲示板から貼っていこうか……などと、思いながら……。寒くて炬燵守の状態の私、もそもそ這い出していかなければ、という気分にさせられた。




 

追憶

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年10月27日(火)13時40分38秒
編集済
 


窓の外にある欅の大樹が黄葉を始めた。
昨日の事だった。こんなにも透明な黄色があるのだろうかと、感動させられるほどの、
透き通った美しさだった。
太陽は南から射し、西向きの窓辺にいる私を、酔わせる。

今朝は左にある欅が、紅葉を始めた。黄色でなくて赤く色づき始めた。こんな事ってあ
るんだな。同じ欅なのに、色づきが違うなんて。

こんな美しい世界を窓辺に展開してくれている……、欅に感謝。体の傷は日にち薬と言
われて、睡眠と食事の繰り返しの毎日。そろりと歩く事から始めたが、窓の外の景色に
心奪われている。こんなに美しく感じるのは、今年が初めて。やはり体調との関係があ
るのかもしれない。



帰宅した日に友の死を知る。旦那さまの無念の声。友のパソコンにはパスワードが掛け
られていて、気になっていたけれど、私に連絡のしようがなかったと……。
連絡をしてもらっていても、私はベッドの上、どうすることも出来なかったのだけれど。

突然の訃報に涙しかなかった。
彼女と交際を絶った理由はいろいろあるけれど、彼女の選択に従った。幾分かの憤懣や
矛盾を感じていたが、彼女の心が幸せになるのならばと、彼女の選択に異議を唱えなか
った。それは冷たい処置だったかもしれない。しかし、私にも意地があったから……。

自分の心に従ったけれど、それでよかったのだろうか。
問いかけは次から次へと出てくる。高校の同級生ともこじれていて……と旦那様の弁。
きっと彼女の病気がそうさせたのだろう。今はそう思うしかない。
ずっと気になりながら、彼女の動向を見守っていた。彼女からの信号かなと感じるもの
もあったけれど……。

こんな形で彼女が逝くのなら、それが予想できたのなら、……悔いは残る。

彼女の選んだ道が幸福であることを願っていた……。それは彼女だけが感じる事であっ
て、私の立ち入るものではないと……。
すぐに自分の掲示板を削除してしまう彼女だった。幾つかの掲示板に彼女が残したもの、
彼女の作ったものを拾いあつめて、いつかひとつの掲示板にしてあげたいと思う。それ
が友へのせめてもの私の供養……。






 

佐用町

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 8月23日(日)10時59分57秒
編集済
 


所用もかねて、中国道を西へ走ってきた。

亀岡から、佐用、美作……。
中国道は過日の水災害の爪あとが生々しく残っていて、シャッターを押す事ができない。

佐用町の家々は、床上浸水したために、畳を出し、床をあげていた。あげた後には、衛
生のために、石灰を撒き、家の周りにもしっかり巻いているので、辺りは真っ白。

水の恐ろしさを掲示板で知ってもらおうと、車窓から数回シャッターを押した。

奇しくも、帰宅してニュースを見ていたら、麻生首相が佐用町を見舞っている様子が映
し出された。私と入れ違いだった。

被害にあった女性が、「国で河川の治水をお願いしたい」と必至に陳情していた。
麻生首相に陳情していた村の人は、「五年前も大変だったのです。なんとかしてくださ
い。」と。


故郷の滋賀でも、昭和30年代よく河川が氾濫したと聞く。そのために、どんな小さな
川でも護岸工事が行われて、今ではどんな台風の時でも、氾濫したと言う事は聞かない。


佐用町の川を見ている限りでは、氾濫するのはあたりまえだと、素人の私にもわかる。

四方八方に山が多いのに、川はところどころ護岸がされているだけ。それにも増して、
肝心の川底が浅い。一時に大雨が降れば、集まってきた雨水が護岸を超えるのは必至だ。


昼間、立ち寄った寿司店の店主が言っていた。
「佐用町は、川が氾濫して、町全体が悪臭で大変だった」と。


水は命の素だが、侮ると凶器になる。
「行政は治水から始まる」という言葉が、昔からあるのだが……。


        *************


写真は、レールが浮き上がった単線を修理しているJRの社員たち。
水圧でなぎ倒されているガードレール。
濁流は橋の上を通ったのだろう、ぼろぼろになった橋と、橋の上に残った流木など…。



 

限界

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 8月 5日(水)11時53分53秒
編集済
 





友を訪ねた。
一人暮らしのアパートの一室。
薄いガウンを着て、彼女は座っていた。

何もないでしょ、一からの出発なのよ、
微笑みながら、ぽつりと言った。

夏座布団をすすめられた。
小さな扇風機が窓辺からこっちを向いて、からからと回っていた。

長押からプラスチックの点滴の容器と管がさがっている。
そのそばの小さな台の上にはたくさんの薬袋。

ありがとうね、退院のお祝い…。
奮発して送った観葉植物がそこにあった。

私ね、もうダメかもしれない。
ぽつりと呟いて、彼女は私たちを見た。
病人の入れたお茶なんて飲みたくないでしょ、
だから入れないね。

言葉が出なかった。
お見舞いに来なければ良かったと、
誘ってくれた友人の横顔を見ながら後悔した。

一人で注射するのよ、抗がん剤。
私、看護婦の資格持っているから、なんでもできるの。

彼女はこの二年の間に、両親を看取った。
20年近く、両親の元を離れて暮らしていた。
縁を切られたのは最初の結婚が辛くて、幼児を残して
婚家先を出た時。
田舎では許されない所業だった。


両親が不治の病と診断されたとき、
たった一人の弟が、今までの親不孝の侘びをしろ、と言って、
二人の介護をするように言ってきたという。

彼女は故郷の石川に帰り、二人の介護と葬儀を済ませた。

両親のすべてを終えたあと、今度は、自身が病魔に侵されていることを知る。
手術を終えたあと、彼女は二度目の離婚をした。
残された人生は自分のために生きたいと思ったと言う。
二度目の結婚では子どもに恵まれなかった。

最初の離婚で婚家に残してきた幼児は、二十歳の娘に成長しているという。
死ぬ前に、一度だけ娘に逢わせてと、元夫に懇願した。
しかし、断られたと言う。

非情な人でしょ、私が死んで行くのに…と、彼女は呟いた。

君は一目見て死んでいくが、一目見た娘はこれから何十年も生きていかなければならない。
一目見たことからおこる、娘の心や今の生活の平穏を乱されたくない。
それに、娘は新しい母を実の母親だと思っているから……
それが元夫の答だった。

叔母を通じて頼んでもらったけれども、頑として意志は翻らなかったと言う。


あなたには、書く事があるじゃないの。書く事ができるじゃないの。
健康な私は励ますつもりで言った……

時間の限界がある私に何が書けるの?
あなたのように幸福の真ん中にいる人にはわからないわ。

彼女の言葉が無数の棘になって、身体に刺さってきた。

私は訂正も言い訳も何もしなかった。
今の彼女にとって、人はだれでもみんな、はるかに幸福に見えるだろう。

重い荷物を背負っている人はこの世にごまんといる。

それを見せないでいるのが、誇りであり、生き方であると。
物を書くものならば、そこを見るべきだと。
ほんとうはそう言いたかったけれど。

それを言うだけの強さが私にはなかった。

彼女の命の限界を見届けに行ったような気分にさせられてしまった私は、
それからは二度と、だれのお見舞いにも行かなくなった。
お見舞いと言う美しい言葉の中に、見舞われた者の切ない心がある事を
知ってしまったから。

お盆が来ると思い出す。
齢43歳で早世した美人だった作家の卵を……。









 

槿

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 8月 1日(土)06時08分12秒
編集済
 




今年ほど、槿を写真に撮った年はない。
思えば、うん十年前、父が一本の枝を持って帰ってきた。
畑の竹薮に近いところを四角に囲って、そこにその枝を差した。
毎日水をやるように……、父の言いつけだった。

遊ぶ事に一生懸命の中学生の頃だった。
2、3日水遣りを忘れていたら、すっかり枯れてしまった。
こっぴどく叱られたのは言うまでもない。
心の中で、そんなに大事なものなら自分が水遣りすればよかったのにと呟いていた。

槿を見ると思い出す。
あの枝は紛れもなく槿の枝だった。
まっすぐに伸びた枝に一センチばかりの葉が、点々と付いていた。
今なら、毎日水遣りできるだろうなぁ。
父には悪い事をした。

父を思い出すような感覚で、槿にであうとシャッターを切っている。

写真は、植物園の日本の森にあった槿。
道路に迫り出した枝先で咲いていた。
ここでは誰も花を折らない。
プロペラのような花びらが舞って今にも飛んでいきそうだった。



 

植物園

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 7月25日(土)11時55分0秒
編集済
 



朝一番の植物園。
開門を待って、数グループがあちこちで固まって話をしている。
肩には三脚、リュックサックは膨らんでいる。一様に白い帽子を被って、首にはタオル。
京都の暑さを知り尽くしている人たちだ。


そんな中、一人で私も門の前で待つ。ひとりだけの私に、ちらちらと視線を走らせなが
ら、グループの声高な話が続く。


60歳から70歳の男女のグループ。首からは一丸レフ、撮影が目的だとわかる。9時
開門だが、だれも切符売り場には行かない。そう、京都府立植物園は、60歳以上は無
料なのである。年齢を証明するものがあれば、よいそうだ。


9時になると、みんな職員に挨拶して入っていった。職員さんとも顔なじみのようだっ
た。グループの人達は、いっせいに噴水広場のほうへ行った。薔薇や向日葵が咲いてい
る一角である。


私は、野草・有用植物のほうを目指す。途中で槐の花を見つけたのでそれを撮り、野草
園を後回しにして、芝生の広場へ行った。9時の芝生広場は、人っ子一人いない。昨夜
の雨に洗われて芝生の緑がしっとりと潤んでいる。


数枚撮ってから、藤棚の横にあるテーブルに座る。日陰の風が心地よい。アイスカフェ
ラテを注文し、カステラを食べる。これが朝食代わり。鳩と雀が、おこぼれを欲しいと
いうふうに、首をかしげてそばにきた。餌をやると喫茶の場所に居つくので、あげたい
気分を抑えて、見るだけにした。


一人老紳士も冷たい珈琲を飲んでいる。薄い水色の作務衣姿。きっとご近所の方なのだ
ろう。手帳を出してスケジュールを確認していた。朝の散歩なのだ。60歳は超えてい
そうだから、毎日きても入園無料なのだろう。


「いつもの連中は、今日は珍しい鳥が来ているといって、走っていきましたよ。」と、
喫茶の中のパートさんに声をかける。


パートさんが出てきて、私を見て、「こんにちは、お久しぶりです」と言う。「あら」
と声を出したっきり、笑顔のまま、こちらは相手の名前が思い出せない。子ども達の学
校で一緒だった人。


彼女はもう一人の女性に声をかけて、「この間テレビにでてはったのよ」と言う。相手
がびっくりして出てくる。もう、7年は過ぎているのに……。思わずネームプレートで
相手を確認。顔は知っているけれど、名前は知らない。う~ん。「へ~あたるもんなん
ですね」と、お連れさんも、なんだか判らない感想。


あんな深夜の番組、良く見ているものだと思いながら、それでも何年たっても、人の記
憶から消えないのだなぁと、妙に感心した。タレントが知事になったり、議員になった
りするのがわかるような気がする。私もいずれ出馬?…と、笑ってしまう。


昔話にいっとき花を咲かせた。彼女も、滋賀県出身だと聞いて余計に懐かしくなり、琵
琶湖周遊道路の話で盛り上がった。


世間は狭い……。


 

一年を振り返って・・・

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 7月 7日(火)08時55分33秒
編集済
 



この、teacupの「みんなの掲示板」は、無料の「みんなの掲示板」である。

さりげなく、最初の投稿の下にCMが入っているから、その料金で運営されているので
あろう。
付随している個人の掲示板も同じ様式である。違うのは個人のほうは画像が掲載できる
ことである。写真の掲載の仕方と、背景や投稿者の名前などが様々にチョイスできるの
がじつにすばらしい。

2003年頃、「みんなの掲示板・恋文仮想空間」に詩や句を投稿していた。
面白くて毎日毎日投稿していたのだが、他の人と一緒なので自分だけの作品の記録場所
がほしいと思っていた。ある日、個人の掲示板もあることに気がついて、詩を記録する
部屋を立ち上げた。

私個人の秘密の掲示板である。その頃は、100投稿までしか出来なかったので、99
まで記録すると、また新しいのを立ち上げた。
おおよそ6つほど立ち上げた時、詩だけでは飽き足らなくなって、自分のトピを持つ事
にした。

それがここの掲示板。2004年2月3日の事である。

「詩の分野は残しておいてください」と、詩の投稿掲示板・管理人の申し出で、詩は今
までどおり、そちらに書く事にした。


昨年の7月、俳句のトピを立ち上げる事になり、その関連で、もとあったHP、これは
好意で作ってもらったものだが、サーバーの契約が7月19日に切れる事になったので、
再契約しない事にした。さくらサーバーのHPは、私には使いこなせていなかった。

私はずっとニフティを使っていたので、そちらに切り替える事にした。ニフティサーバ
ーを取得した当初に、HPのアドレスはとってあったので、あとはページを作るだけの
事だった。

さくらサーバーの分はそのまま残っていたが、全部新しくすることにした。

五年間、あちこちのHPを覗いていろんな事を学んでいたのだが、いざ自分のものを作
るとなるとなかなか複雑な心境になる。あれもほしいこれもしたいと夢は膨らむばかり
だった。

シンプルを心がけて、ほしいものだけをピックアップした。
幸い、記録していた部屋も7つになっていたので、その作品ををそのまま別の掲示板に
振り分けて独立させる事にした。(最後の一つは1000投稿できる仕様になっていた)

詩、俳句、短歌、小説、写真、と五つのジャンルに分けた。写真はお世話になっている
ちゃげさまのHPで作って頂いているもの。「そのままリンクしてもらっていいですよ」
との有り難いお言葉で、それに甘えて私の物みたいにして表示させていただいた。

交流用の画像掲示板は新しく作った。

と同時に、俳句と短歌のトピックスに集ってこられた方にも、記録用に個人掲示板の立
ち上げをお勧めした。多勢の方の個人掲示板を作る事になった。
今までの関連で無理やり俳句に引っ張り込んだ方もある。(゚_゚i)

すべての個人掲示板の、画像タイトルや背景色の選び方などは、寫楽さまにお願いし、
アドバイスを頂いた。ど素人な私だがこだわりもあって、ご迷惑をおかけした事と思う。
今から考えると、冷や汗が出る。怖いもの知らずとはよく言ったものである。
快く引き受けてくださった寫楽さまのいらっしゃる関東には足を向けて寝られない。


お陰さまで、納得のいくHPになった。

昨年の今頃の様々な葛藤を振り返ると懐かしい。歳月は人を待たないというが本当にそ
うだ。毎日ひとつとして同じ事はない。

俳句掲示板から派生して、交流用画像掲示板を持たれる方達も増えた。毎日、散歩する
のと同じように、掲示板散策をしている。
外の散歩は体の健康のため、掲示板の散歩は脳内活性化のため…と心得ている。

ネットの友達が増えてうれしい。








 

花の名前の検索

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 7月 4日(土)10時39分5秒
編集済
 


検索する事が楽しくなってきています。
始めは、花の名前を探すことだったのですが。
いかにして、その知らない花の名前を知ることができるか……。その、検索の出し方に
興味が湧いてきました。

花の写真を撮って、ブログに貼るだけの人。
花の写真を季節ごと、あるいは月別に貼る人。
花の写真を色別している人。
花の写真を場所ごとに貼っている人。

どのサイトも私のお気に入りの花のファイルに入れてあります。
そこから、自分の知っているその花の知識のかけらを、紐くじの紐をひっぱるように、
そろそろ引いていくのです。

花の形、葉の形、茎、咲いている月。紐をひっぱるのは、そろりそろり……。その花の
名前がわからない時は、その花の陰影がずっと頭の中にあります。

お茶を飲んでいても、テレビを見ていても、自転車で走っていても、その花の名前を探
している自分がいます。

一週間ぐらい真剣にさがしていても見つからない時があります。

ある日、その花の知識のかけらがピンポイントのように違った方向から、突き刺さる事
があるのです。それをネット検索に入れて……、お~出てきた!!!となります。喜び
の一瞬ですね。達成感、これは検索の醍醐味ですね。

辞書や辞典のページを繰るよりはるかに速く、目的地に着きます。何よりも、膨大な本
が要らない。キーボードと画面があればいい。あとは全部ひと様のページからの贈り物
です。

同じ名前でもたくさんあると、その花をひとつひとつ繰っていきます。なんでそんな面
倒な事ができるのだろう……。知らない相手に知らせてあげると、きっと喜ぶだろうな
~、その一点です。

リアルで互いを知っている人もいますが、ネットでは顔も声も知らない人、でも、画面
の向うで待っているという実感があるのです。だから、探すことができるのです。

そして、私は花の名前の検索をすることで、しっかりと花の名前が自分の知識のページ
に刷り込まれるのです。

ずっと探していたのに、判らずほうりなげていた花の名前があります。毎日毎日、あー
でもないこーでもないと探していたのです。そしてすっかり諦めた頃、その花の名前が、
素晴らしい写真とともにでていました。

それには吃驚仰天でした。その人が探してくれたのかとおもっていたのですが、そうで
はありませんでした。もう一ヶ月も前にその人の写真のページに掲載されていたのです。
シルエットだからきづかなかったのですが。

それが光を当てられた写真として、別の場所で撮ったものが掲載されてきました。偶然
の一致なのか、あるいはその人が察知してくれたのか、それは不明ですが……。
相手に尋ねないで、花の名前が判った事に別の意味でまた感激しています。



 

時を見つめる

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月30日(火)11時15分27秒
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千の花びらの向日葵、何を見ているのか。
少し翳った初夏の光の下に佇んでいた。

じっと見続けている。
近い将来、遠い未来、時空の果て……を。




 

城ヶ島の雨・・・

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月24日(水)05時40分51秒
 


   雨はふるふる 城ヶ島の磯に
   利休鼠の 雨がふる
   雨は真珠か 夜明けの霧か
   それともわたしの 忍び泣き


               舟はゆくゆく 通り矢のはなを
               濡れて帆上げた ぬしの舟
            ええ 舟は櫓(ろ)でやる
            櫓は唄でやる
            唄は船頭さんの 心意気


                                           雨はふるふる 日はうす曇る
                                           舟はゆくゆく 帆がかすむ











城ヶ島の雨
http://www.youtube.com/watch?v=K7uGnSNXXYw


 

蒼鷺

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月21日(日)14時19分36秒
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世の中には理不尽な事はいっぱいある。
いわれのない噂で傷つく人も多い。
私も結構シャイで人付き合いは下手なほうである。自分の事を良く見せると言う事に長け
ていない。アピールの時代だと言われながら、謙譲の美徳を貫いている。

卒業後30年と言う大々的な同窓会に出席した時、現代国語の先生が壇上でお話をされた。
500人中280人あまりの出席、稀に見る多勢の参加で先生方も吃驚されていたが、そ
れだけその学年は結束が固かったのだろうか。

先生の言葉は、
「世の中にあって、諸君達は社会を牽引している年代である。年下すなわち人生の後輩に
対しては弱音を吐かない。自分達は先輩だという意識でポジティブに生きて行ってくださ
い」だった。

現代国語の先生であったが、後年、二度にわたって母校の校長を勤められた。生徒達を決
して呼び捨てにする事無く、男子には「君」女子には「さん」づけだった。

話される言葉が、そのまま文章として書き連ねていく事ができる、そんな話し方だった。
言葉に重みを感じるのは、先生に三年間習い、班の顧問としての指導を受けたからである。

いつも冷静、いつも慈愛に満ちた眼差しで班の生徒を見ておられた。班の自主性を重んじ
て学校側に掛け合ってくださった姿は忘れられない。

正義感は大切……、それゆえに一時的に中傷されようと、それは自己においては苦にはな
らない。さらなる飛躍のベクトルとなるような気がする。

理不尽な事を見逃すことが出来ない性格は、戦闘的ではあるけれど、必ず理解者が回りに
いることを確信している。真実を見つめる目はいつも澄んでいて、こちらを見ていると思
うから。


少し落ち込んでいる友達を励ましながら、夕暮れの鴨川に座っていた。そこへ一羽の蒼鷺。
人を恐れず、同じように比叡山の方向を見つめていた。蒼鷺は何を考えているのだろう。
シャッターを切ってもこちらを振り向く事はしなかった。






 

白詰草の冠

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月15日(月)13時29分50秒
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連れ合いの家へ、全員で集まった。
延期になっていた5月生まれの誕生会。
娘たちが日を決めて企画し、お昼を食べるのとケーキでお祝いをするだけの事だが……。


お昼の11時半、企画は連れ合いにも連絡済みのようで、庭にテーブルがセッティングさ
れていた。海や川にもっていく簡易式のものと、新たに買った白いテーブルと大きな日傘
が準備してあった。

BBQの準備もしてあって、炭がおいてある。私はアウトドア派ではないし、連れ合いも
そうなのだが、この頃は活発な娘たちに引っ張られている格好となる。

なんにしても、5歳児がいるので、その子を喜ばせようというのが、家族全員の一致する
ところである。
六月は一番日差しがきつい。その六月のお昼にBBQをしようと言うのだから地獄沙汰で
ある。

言い出した本人はちゃっかり家の中の一番涼しいところで、食べている。姉の婚約者が外
に出して回している扇風機を背に受けて、炭のはいった網焼きの上で、肉や野菜を焼いて
いた。

「お母さんはじっとしておいて~」
そうは言われてもじっとしているのは体がナマル。滋賀から来ている娘のためにも実家の
母らしくがんばる。昨日は案外体も楽でしっかり働いた(笑)。

大人6人、わいわいがやがや言いながら6月の光いっぱいの中で誕生会。ガレージを隔て
た道の向こう側を時々散歩で歩く人がにこやかに見ていく。

日陰とは言え、お日様の反射光を浴びた食べ物が傷まないか、心配だった。

炭などの後片付けは連れ合いのお手の物。しっかり片付けてくれるのでお任せして、台所
の洗い方に回る。

一段落して、五歳児にせがまれて近くの公園へ行った。彼女がくるとこの公園に来るのが
定番になっている。カメラを持って遠回りして公園へ着く。

白詰草の絨毯が2枚ばかりあった。ブランコの近所と、植え込みの前。多分、自生したの
だろう。もう花の季節は終わりに近かったが、まだ白い花が点々と咲いていた。

「お花の飾りできる?」と、聞いてきたので、「うん、じゃ作ろう」と言う。目を輝かし
てくるので、じゃ、お花をたくさん採ってきてねと言い、手元にあるところから摘み、編
み始める。

ざっと、花の量を見回してもそんなに長いのが出来そうになかったけれど、とにかく編ん
でみようと決めた。
はじめは、一生懸命摘んでいた五歳児もやがて花摘みに飽きて、ブランコや砂場へ移動す
る。それを目で確認しながら、編み続けた。

時々、どれだけ出来た?と、確認に来るのが可愛い。そのたびに、頭の上に載せて、長さ
を測る。目が輝く。やっぱり女の子だなと思う。

子どもの頭周りは大体50センチくらい、結構な長さである。出来上がった時の彼女の喜
ぶ顔が見たくて…がんばる。
大分長くなった頃、また、傍に来て一緒に花を摘み、私に差し出した。最後に輪にした時
は、それを被るのを想像できるのか、満面笑みだった。

輪にして頭に載せてやり、写真を一枚撮った。はにかんでいる。傍に鏡がないから、撮っ
たデジカメを元に戻して見せてやる。もっと撮ってほしいと言う。それからポーズをした
のなど、二~三枚とって、家に帰った。

「ママに見せるまで、内緒ね」
昔は城詰草に蓮華をはさんで、きれいな色のを作った。蓮華は茎がぽきんと折れてしまう
ので、それだけでは花輪にならない。城詰草の茎でないとだめなのだ。

家に持って帰ったら、娘たちも順番に頭に載せて写真を撮っていた。いくつになっても花
の冠は女性の心を惹くものらしい。

私も載せていたのだが、撮ってもらうのを忘れた。残念。


            




 

花菖蒲

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月14日(日)23時56分22秒
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今日は日曜日、家族の5月の誕生会を行うというので、皆が田舎家に集まった。
暑いお昼に外でBBQをして、3時過ぎにはケーキでお祝いをし、その後、五歳児と散歩
に出た。

付近の田んぼは田植えが済み、早苗が水の中に涼しげに揺れていた。その早苗田の向うに
菖蒲の群生が見えたので、田のあぜ道を通って畑まで行った。畑には葦簾で囲った室があ
って、そこからはみだした独活が大木のようになっていた。

デジタルカメラで菖蒲を写していると、その横の畑で草取りをしていた老婦人が寄ってき
た。「綺麗ですね」と声をかけると、「それは私が大宮御所にお勤めして退職した時、少
し株を貰ってきたものです」と言う。

20年前数株だったと言うのが、今では横50センチ縦2メートルほどの広さ一杯に株が
増えている。日当たりもよく、きっと肥やしもしっかり施されて来たのだろう、花房も大
きい。

「あやめですか?」と尋ねたら、「花菖蒲(はなしょうぶ)ですよ」と答える。大宮御所
の裏には花菖蒲の畑がずっと続いていたらしい。御所へお勤めしていたと言う顔には、上
品な誇らしさが見えた。

老婦人は、持っていた鎌で十数本を切り取って私に渡してくれた。「ここにあっても枯れ
るだけですから」とにこやか微笑えむ。婦人の名前を聞いて礼を延べ、夕暮れの畑を後に
した。少し、気分的に凹んでいた私だったが、花菖蒲の美しさと老婦人のにこやかさに心

和んだ。


      


 

JR琵琶湖線

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月 8日(月)05時01分57秒
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故郷へ帰る時、JRびわこ線を利用する。
石山駅からは席から立って行き、進行方向左側のドアにへばりつく。
デジタルカメラの電源を入れて、やがて来る風景を待つ。

ほんの20秒ほどの間に、通り過ぎてしまう、瀬田川の鉄橋。
入ったあたりから、狙いを付けてシャッターを押す。
陸橋の柱が、シャッターを押した後に来れば、しめた!と心が叫ぶ。

琵琶湖をカメラにおさめたい、そんな気持ちがいつも湧いてくる。
思い通りの絵が撮れているかどうか、確かめるのは鉄橋を通り過ぎてから。

晴れていても、けむっていても、琵琶湖はいつも私を迎えてくれる。







 

赤い紫陽花

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月 5日(金)06時16分28秒
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他の掲示板で、どんな色の紫陽花が好きかと聞かれた。
真っ赤な紫陽花と答えたかったが、すぐに写真が出てこない。赤い紫陽花を撮った記憶
があるので、「マイピクチュアー」を広げて三年間のアルバムを繰った。そういう時に
は、なかなか見つける事ができないものである。

泣く泣く諦めて、蒼鷺の写真を貼っておいた。赤い紫陽花が好きですとの言葉と一緒に。

昨日、他の事でアルバムを広げる事になった。その時に真っ赤な紫陽花の写真が見つか
った。でも、その日求めているものはでてこない……。 (ё_ё)

井上陽水の「探し物はなんですか~~♪」を歌いながら、まだ本命を探している私。
でも、真っ赤な紫陽花が見つかって嬉しい。早速彼女の掲示板にも貼った。で、この掲
示板にも貼る事にした。六月なのに、この掲示板には珍しく紫陽花の花を誰も貼ってお
られないようだから……。


写真の上でクリックしてください。画像が拡大されます~~♪ (`ー´)
ちなみに、この紫陽花は京都府立植物園で咲いていたものです。今年もきっときれいに
咲いている事でしょう。ふうの大木のある池の周りが紫陽花園になっていました。


(「淡海の詩」掲示板へ投稿したもの )


 

紅のガラスの部屋

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月 4日(木)13時46分39秒
 




結婚してから子どもをなかなか授かる事ができなかった。
従姉妹と二人でアートフラワーの教室に通った。花の色にもいろいろある。生のままの
花を作る所、アレンジしてオリジナリティを出す、創作花教室。そのどちらにも通った。

色の調合は面白かった。従姉妹と二人であらゆる展示会を見て歩いた。そして行き着い
たのは創作花。その頃、創作花をし始めたある夫人の特別レッスンに通った。平屋のお
宅だった。

教室はリビングで行われた。ふかふかの絨毯が敷かれていて、教室という雰囲気ではな
かった。お昼にはお手伝いさんが作るレストラン顔負けのランチが準備されていた。毎
回おしゃれなランチが準備されていて、同じメニューはなかった。

ある日、彼女が私を個室へ案内してくれた。
庭には白砂が敷き詰められていて、少し出張った部屋、そこは本来なら、三方が雪見障
子になっていたであったろう座敷だった。

先ごろ離婚したばかりだと彼女は私に告げた。三方の雪見障子は全部ガラスに変えたと
言う。ベッドに横になって、庭木を見るのが私の夢だったの…と言った。

頃は夏、庭の百日紅は満開だった。枝垂れた百日紅の紅色がガラス越しに鮮やかだった。
その鮮やかさよりも、もっと鮮やかに感じたのが、部屋の真ん中にしつらえた、彼女の
ベッド。ベッドカバーは真っ白で、ベッド周りの裾には、フリルがたっぷりと取ってあ
った。

部屋には鏡台だけ。妖艶な雰囲気はなかったが、その真っ白なベッドに百日紅の紅が投
射されて、紅色になっているような錯覚に陥った。彼女のオリジナリティーはこのベッ
ドから立ち上がってくるのだと感じた。

まもなく私は妊娠する事になり、彼女との出会いもそこで切れてしまったが、彼女のレ
ッスンに通った二年間は、私の創作意欲に強い光を当てるものだった。

おんな一人の生活に華やかさを追い求めている、その華麗な心に圧倒された。私が自分
を追い求めるようになったのは、彼女の見せてくれたあの百日紅と白い庭、三方ガラス
の彼女の「城」が大いに影響しているのではなかろうか。


 

白詰草幻想

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 6月 3日(水)08時54分48秒
 


白詰草の咲いた田んぼで、寝転んだり、首飾りをしたりして遊んだ。
村の女の子7人ぐらいで、長くあんで、縄跳びの縄のようにした事がある。

白詰草を摘む子、編む子…、嬉々として興じた。
7メートルぐらいまで編んで端を止めて、みんなで縄跳び遊びをする事になった。

道路へ出て、両端を友達が持って回す。
生の蔓で作っている花縄。直径3センチぐらいの太さだから重い。
ゆっくりしか回せない。

一人入って2~3回飛び、そして出る。
また一人入って、2~3回飛んでから、出る。

私も、入った。
白詰草の花縄は、蒼い空を半分に切って、また一つにする。
白い白詰草のふわふわな花が回ってくる。

花縄持ちを交代して、みんな飛び終わった頃、地面を擦って弱くなった城詰草の花縄が、
空へ上がった時、空中で弾けた。
真ん中からちぎれて二つの棒のように立った。
ちぎれた花縄が空へ舞う。

女の子の喚声があがる。
白い地面に、ばらばらになった白詰草が空から、落ちてきた。
みんなの頭に、地面に……。

田んぼではまっすぐだった白詰草は、花首のところで曲げて繋いだ。
ばらばらになった白詰草は、地面にのの字をかいていた……。

ああ、あれから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
田舎の少女の頃の時間が、今、ゆっくりと私を幻想の世界へ引き戻す。



 

宝石の塔

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 5月23日(土)11時20分19秒
編集済
 

「宝石の塔」と言う名の花。
府立植物園で栽培されている。2年前の春、たまたま入園していた娘と私に園の方が
声をかけてこられた。

「このカメラマンは、○○新聞者の方ですが、この花を掲載するにあたって、お二方
に遠景で入っていただきたいとの事なんですが、如何でしょうか。花の大きさを読者
にわかっていただくためのものだそうです……」

大きなカメラを持ち、傍には大きなカバン。府立植物園の方のお話がなければ、出さ
れた名刺だけではオーケーとは言えそうになかった。(笑)

娘も私もこういうことに良く行き当たる。これも縁という物なのだろうか。娘は関西
ウォークという週刊誌や、高校野球などでピックアップされた事がある。とりたてて
美人でもないのだが、何かそういう方面と縁があるのかもしれない。

その時掲載された新聞は、写真と一緒に京都支社から送っていただいた。記念になる。
その時の、宝石の塔が四年目になって、また咲いていた。二年前よりはずっと太くな
っている。そして花の付き具合も見事だった。カメラで何枚も撮る。バラ園へ行く途
中の円形の場所にもたくさん植えてあった。森を背景に空へ伸びている「宝石の塔」
は見事の一言に尽きる。

自分を入れて写真に撮れないのが残念だが、遠景に入園者を入れての一枚。








「宝石の塔」
 

ひとりの時間

 投稿者:櫻子   投稿日:2009年 5月20日(水)09時05分21秒
編集済
 


何かもから逃れたい時がある。
それは自分の心からも逃れたい時。あれもこれもいっぱいしたいことがあるけれど、
どれをするべきなのか、取捨選択ができなくなっている時。

すべての事に平等に、すべての事に思いやりを持って……、そう考えていても物理
的にできない時がある。体は一つ、時間も限られている。

何もかも投げ出して、ただじっと座ってパソコンのマウスを握っている。指はクリ
ックを繰り返しているが、画面が変わるのをぼんやりと眺めているだけで、何をす
るわけでもない。画面は目には入ってくるけれど、脳内で考えていることは別の事。

とりとめもなく、幼い頃の事から成人した日までが、走馬灯のように流れてくる時
がある。偶然に開いた画面から意識が現在に引き戻されて来て、またポジティブな
気分になる時もあれば、限りなく奈落へ落ちていくような、ネガティブな思いが充
満してくる時もある。

これも流れ、あれも流れ、激流に翻弄されるか、白い雲に乗るか、はたまた気流に
巻き込まれて悲鳴を上げるか……。それはその時の、時の流れるままに……。






 

レンタル掲示板
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