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ハンセン病文献(3)

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 3月26日(木)05時37分32秒
編集済
  著者別の統計である。

 名前なし 匿名 anonymous  580編
 Job CK                     188
  Ramu G                     158
  Rees RJ                    149
  省略
 Sehgal VN                  112
  Convit J                   105
  論文数が101以上の著者が21名もおられる。大多数はインドかなあ。(推定)

結論を書きましょう。

 ハンセン病の文献のピークは1980年代である(10年毎に区切って)。その後は減少傾向にあり、英語以外の文献は特にその傾向が著名。インドとブラジルは症例も多く、論文も多いが、この傾向は他のハンセン病の多い国には共通していない。

 ●ヘンな文章だ。インドとブラジルの人は良く書くが、ハンセン病の多いその他の国からの論文は少ない、という意味だ。

 大論文の割には、ちょっとヘンなconclusionsではありますね。

 ●ブラジルの場合はよくわからないが、インドの場合英語であるので、地方会レベルで題と内容を詳しく書けば採用されることも考えられる。
 

ハンセン病文献(2)

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 3月26日(木)05時34分45秒
編集済
   続けてみます。

  雑誌名 Int J Lep           15.38%
          Lepr Rev            12.18
          Ind J Lepr          10.0
          Acta Lep             2.77
          Nihon Hansenbyou-    2.49
          Hansenologica int    1.55
          Int J Dermatol       1.26
          Lancet               1.16
          Arch Dermatol        0.53

        雑誌名は大分省略した。ちょっと解せないのはJ Dermatolがないことで、これは早速Ichiroが検索しよう。後記 J Dermatol  leprosyを検索しました。

    Items 1 - 40 of 40 あれ40編も出てきた。この論文にけちをつけましょう。
しかし、数が少ないので、採用していないようだ。

 ●ハンセン病の論文はどうも特化しているというか、専門誌に出す傾向がありますね。
  皮膚科でいえば、大御所のArch Dermatolには書かないようです。

続きです。

  分類 総論      多数
    治療学     多数
    免疫学     多数
    病理学     多数
    診断学     多数
    公衆衛生    多数
    遺伝学     1105編
    歴史      856編+225編

 MeSHの国別
    India           1141 (new cases 139,252)
        Brazil           271 (new cases 44436)
        Japan            224 (new cases 7)
        USA              171  (0 except Hawaii)
        Ethiopia         136
    ●単に数が多いという国と稀な国とを区別して考えているのは賛成。症例報告など、数が少ないと書けません。


  著者の住所別の国
    India            942(since 1990)
    UK               404
        Japan            371
        USA              346
 

ハンセン病の文献の研究

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 3月26日(木)05時28分4秒
編集済
  ハンセン病の文献をMedlineで統計を取るという膨大な 私が好きそうな発表がある。

 Analysis of the leprosy literature indexed in Medline (1950-2007)
     Dirl Schoonbaert, Veerle Demedts    Lepr Rev (2008), 79,387-400.

   タームはMycobacterium leprae と leprosyを検索。1950から2006年12月まで。 他の科目と比較するとハンセン病関係は 日本では少し有利である。それは、単科では、日本の雑誌一つは採用されている。また、英語抄録が採用されていれば、日本語でも内容が採録されている。(内科や皮膚科と比較しての話である)

  言語 こういう面白い統計は初めて拝見しました。英語はMedline total で 13578,
296 割合は 77.39%,フランス語は 割合だけにしよう 3.56%, 日本語 2.09% ドイ
ツ語 4.33%, ロシア語 3.58% 私は圧倒的に英語に限定されると考えていたが、雑誌
採用の原理により、他の言語もあるのである。

  さてハンセン病に限定すると、どうなるか。英語 14670 76.40%, フランス語 1666
 8.68%, 日本語 530  2.76%, ポルトガル語 726 3.78%, スペイン語 653 3.40%,
ドイツ語 377 1.96%, ロシア語 200 1.04%

 ●上に書いた理由で、他の科と比較して、ハンセン病だけの論文の日本語採用率(全体に比較して)が有利なのは明らかである。皮膚科の場合、日本発行の雑誌は、日本皮膚科学会雑誌のみしかMedlineに採用されていない。(他に西日本皮膚科とか、民間の雑誌が多数ある)ハンセン病に関しては、日本ハンセン病学会雑誌への投稿の率が大。なお、採用されている論文は英訳が出ているものに限る。

 記事の内容です。全部興味があるので、紹介しましょう。

 Journal article(論文にあたるか)  90.28%
  Case reports(症例報告)          8.31%
  Letter(編集長への手紙)            6.79%
  Review(総説)            5.38%
  歴史的記事                         4.09%
  治検(有効とか無効とか)           2.45%
  コメント(批評)                1.62%
  Editorial                            1.59%
  Biography                            1.33%
  学会                 0.72%
  合計                100%
 

らい予防法時代の大学

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 3月18日(水)00時38分14秒
編集済
  熊本大学前史:

 本妙寺にいってハンセン病を研究した医師がいたり、ハンセン病患者の病理解剖をしたりした記録がある。私立ハンセン病病院が出来たが、熊本大学において、どれだけ協力したかは、改めて調べる必要があろう。九州療養所ができ、熊本大学からも協力されたと思うが、皮膚科に関しては、診断はして九州療養所に送っていたようである。戦前であるが、宮崎園長が皮膚科の学会に出席した写真が残っている。

 九州大学:ここは各科毎の建物があった時代に、戦前から大きな皮膚科の建物の別の所からハンセン病患者が入っていて、診察治療を受けていた。志村康さんが診断を受けたのは戦後間もない時期であった。ここでは治療ができないから、菊池恵楓園に行けと言われたという。ハンセン病も梅毒も所謂梅毒血清反応が陽性なので、606号はいかんぞ、と宮崎園長が言ったと書かれている。診断を間違って606号を注射することは大いに考えられるが、あれがどうわるいのか、Ichiroはよくわからぬ。(砒素剤であるからか)
戦後であるが、細菌学教室に韓国の柳教授が留学され、菊池恵楓園に研究材料をもらいにきた、と小生に手紙で語られた。

 九州大学皮膚科百年史によると、福岡県のらい指定医は、代々九州大学教授がなり、最後が九州大学出身の旭産業医科大学教授であった。県の係官が2ヶ月に一回グライ、患者をつれてきて、そこでDDSなどをやっていたという。たしからい予防法廃止までは続いていたのであろう。この話は旭教授から直接聞いたものである。

 東北大学、東京大学、大阪大学、京都大学:昔の旧制大学であり、ここでも九州大学と同様であったろうと思われる。金沢大学、長崎大学でもその可能性はあろう。DDS治療前は大風子油を投与していたようである。熊本大学は菊池恵楓園が近いので、どうも診断だけであったようだ。Ichiroの恩師は、診断に慎重であれと戒められ、自分の経験で、診断を告げてその帰途自殺されたことを常に話されていた。
 

二重の差別

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 1月30日(金)03時47分42秒
編集済
  ハンセン病療養者は、差別を受けた歴史がある。それは現在でも残っている。その中でも二重に差別を受けた人々がいる。いや、いたと言った方が正しいか。

 結核患者:実際に死亡に繋がる怖い病気である。戦前は国民の死因第1位であった。以前は結核を収容する病棟もあった。特効薬ができ、ハンセン病より先に偏見は少なくなった。菊池恵楓園のお隣は結核療養所再春荘である。間に細い道がある。以前はお互いに相手を怖がっていたと言われる。だんだん差別は少なくなり、菊池恵楓園の中に、郵便局ができたが、再春荘からそれを利用にくるようになった。

 精神病患者:菊池恵楓園でも、この病棟には入院したがらなかった。

 壮健さん(健康な人):入所者から差別されていた。

 外国人:差別されていた。それから、年金など待遇面では差別があった。
 

清貧の入所者

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 1月13日(火)19時00分54秒
編集済
  清貧の入所者といえば、思い出しますね。自分の部屋にななんにもない人。

 信じているのは、天理教です。
 しかし、ちょっと不思議なのです。
 自分は兵役にいった。それなら、恩給をもらっているかというと、申請もしていない。
 自分はこういう病になったから、申請しないんだそうだ。
 とにかく、それは清貧なことと、一致する。
 Aさんをみよ。Bさんをみよ。皆大金が入るので、食べ過ぎて(だったかな)、早く死んだろう。
 そう主張されるのである。
 失明されている。皆に連れて行ってもらって、旅をした。

 個人情報はいけないが。志村さん知っているでしょう。

 Ichiro
 

誰もここに書かないねえ:滝尾先生、読んでるかぁ

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 1月 6日(火)18時23分26秒
編集済
  社会のルール

 それは私が某療養所に勤務したいた頃の話である。私の立場というか、勤務している人である。
 入園者といっても発病した頃が色々で、それこそ、赤ちゃんの時代から、小学校、中学校、社会にでていた人、それは色々であった。それで、いい悪いは別にして、その人の人となりも、教育や療養所の中での環境などで、さまざまである。
 その中でも、かなりおられたのは軍人であった。話を聞いてみると南洋が多いが、ある人のように満州出身と言う方もおられた。軍の中でも教育は厳しく、はっ、軍医殿ということを言っていたらしい。医師である私は話しかけると、そういう昔のことも思い出すらしかった。聞いたが戦地では、ハンセン病はみなかったという。軍人恩給は年数百万という話であった。家族親族は、それこそ大金を貰うらしい。それで、亡くなられると悲しまれる。

 何を書こうとしていたのかな。そうそう、社会のルールというのは、色々違うのであろうが、その人の置かれた環境で、ちがうんだなぁ ということである。ということで、療養所では色々な経験を積ませて戴いた。

 ハンセン病療養所は、多彩な人がおられ、そういう見方をしないと、失礼になるのである。しかし、ちょっと困ったことに、気に入らないのか、もう凄いイジメをされる人がおられた。それもある勤務者に集中するということである。他の人も、そういう場合は普通助けない。今考えれば、反省点ではあるが、婦長さんなど、どうしていたのかな。
 

そうかなぁ:文献はなにだろう

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年12月23日(火)04時54分17秒
編集済
  >2008年12月22日『ショアー』すっかりご無沙汰してました、●●●●です。

>最近、大学の文化人類学の授業で、『ショアー』というナチスのユダヤ人強制収容所、アウシュヴィッツの生き残りの人たちの証言を編集した、ドキュメンタリー映画を観る機会がありました。

>ハンセン病の隔離収容政策は、よく日本のアウシュヴィッツとも形容されますが、この映画を観てみてその理由が少しわかったような気がします。

>とはいっても、実際の映画は8時間にも及ぶ超大作、授業で見れたのはその中のほんの30分と、全貌を把握しているとはとても言えないのですけれど。

>ナチスによるユダヤ人抹殺計画の特徴は、最初に老人や体の弱った者から殺していって、その死体の処理を労働に耐えられる体力をもった人々に課したという、その効率的な機能性にあるのだそうです。

>ここで思い出すのは、恵楓園でも「軽傷者が使者を焼いた、自分の手で仲間の体を焼かなければならない辛さは、なかなかそうぞうできるものではない、みんな泣きながらやっていた」という園内めぐりで案内していただいた、NさんやMさんの火葬場についての話です。

>実際、せっかくアウシュヴィッツから生還しても、罪の意識からなのか、その後自殺してしまった人も少なくないそうなのです。

>その一方、できるだけ効率的に殺すことが可能なシステムを統括していたナチスのアイヒマンという男は、なんということもないじつに官僚的な、家に帰ればごく普通の家庭人といった人間だったということです。

>したがって、彼はそもそも与えられたルーティン(日常のきまった仕事)を忠実にこなしてきた自分が、どうして罪に問われなければならないのか理解できなかったと。

>この事実についても、ハンセン病の絶対隔離政策下の怖ろしい人権侵害が、隔離にかかわった人たちの、想像力を欠いたルーティンによって支えられたという、共通項を指摘できるのかもしれません。

>こうして考えてみると、話は飛躍しますが、国家とか民族などのイデオロギーに依拠し、システムに安住することが、無意識の悪意となって、マイノリティや周縁にいる人たちを、抑圧し差別することにつながるとすれば、ハンセン病にしてもアウシュヴィッツにしても、決して過去にあったことではなく今につながっていて、これからどのようにしていくかが、問われていく問題なんだなあと、あらためて考えだせられました。

●やはり、そういう文献を引用すべきであろう。
 

社会にでると:病院にいくタイヘンさ

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年12月16日(火)19時32分31秒
編集済
  社会にでると:

 3Kプロジェクトというハンセン病関連のブログに熊本の中さんのことが書かれている。社会の中に出ると、最初に一番タイヘンなのは病院受診とある。

 それは私も聞いた。中さんは本名かどうか知らないが、社会では本名を使う。当然といってもいいが、いままで別の名前に慣れた人にはたまらない思いであろう。しかし、人によっては、本名を療養所で使っていた。ああ、そういう人は、別にタイヘンでもなんでもない。

 別名があまりにも有名な人もおられる。現在の全療協の会長さんもそうだ。宮古では知らぬものもいないと思う。何回も宮古本因坊になられた。私が碁を打つときは、5目、6目、7目も置いた。油断していると必ず勝負に出られる。私は、本名を変えてもいいのではないかと考えたくらいである。まあ、ペンネームと同じと考えたらいいか。

 社会に出てから、病院にいく苦痛というか、困難さは想像に余りある。しかたがないので、療養所にいくことが多い。私がいつも気にしていたのは、ある石垣島に住まれている患者さんであった。風邪をひいたり、怪我をしたり、それでも、宮古南静園を頼みとされていた。私は口をすっぱくして、石垣の病院にもいけるようにしなさい、と説得したのだが。

 確かに、知らない医師に告白するのは辛いかもしれない。しかし、一度、友達になっておれば、色々便宜をはかってくれるはずである。医師、看護婦を味方にしましょう。
 

家族の問題(6):離別は悲しい

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年11月26日(水)05時41分4秒
編集済
  家族の問題は 尽きないねえ。

 考えてみたら、日本ハンセン病文学全集も「菊池野」も、どの雑誌をとっても、家族の問題だらけだ。その中で一番悲しいのは、家族との離別。別れ。そういえば、ハンセン病は離別の病気だと ありましたねえ。どこにあったか忘れてしまったが、書いたことはある。

 A disease of separation だったかな。

 別れの病気とはたしかハワイ語だったかな。

 誰でも離別はあり、別れはある。ハンセン病の人々が特別であるのは、それが、離別したくない時期に理不尽にも割かれることであろう。誰でもそういう時期に、別れを強要されることはない。

 家族との離別は、仮に家族全員が入所したらないかもしれないが、親しい人との離別、故郷との離別、その他色々の離別がある。

 恵楓園にいた時に、カルテに何も書かれていない人がおられた。話を聞いたら、家族、友人、仕事、故郷、何もかも捨ててこられたのであった。住所を聞いたら大層怒られた。(当時は個人情報という言葉もなかった) 情報をしらせる筈もない。
 

家族の問題(5):亡くなられると悲しい

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年11月25日(火)21時58分10秒
編集済
  家族の問題(5):亡くなられると悲しい

 ハンセン病の患者さんが亡くなられると、家族が悲しまれるのは当然であるが、(そうでないのもありますか) 最も悲しまれる場合は どういう場合でしょう。

 ちょっと皮肉っぽい表現で申し訳ありません。私は知っています。元軍人の方です。それはそれは、階級や勤務年数で異なりますが、それはそれは、軍人恩給は多いのですよ。それを気前良く、家族親族の分けておられた人だいました。ですから、当然なのです。しかし、お金の問題をもってきたので、この文章はなんとかく不純な文章ということになりました。家族親族といえ、人が大事なことは申すまでもありません。

 全患協の会長さんにもおられましたね。この方は、入所しまして、一度もハンセン病の治療を受けておられません。ま、そう公言されていました。最初は若かったのでしょうが、やはりハンセン病であったことは大きいことでしょう。それを考えると、らい予防法の被害者であるのは当然ですね。失礼しました。このお方は後生存でございます。
 

家族の問題(4):親族を含めて

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年11月20日(木)22時22分57秒
編集済
  ハンセン病の裁判は原告の勝訴となった。当然、原告だけが、賠償金を得る(本当は法律的には補償金という)という話になるが、それでは、裁判に参加していない人は、不公平とかんじたのだろう。法律的は、参加している人も参加していない人も同様に補償金を得た。少しの違いは、弁護士費用だけで、実質的に同じ補償金を得たのである。裁判に参加した人がちょっと不満であったかどうかは、わからない。しかしそれは大きな問題ではない。

 得た補償金をどう使ったである。小生が聞いた範囲では、数百万円単位で、気前良く親戚などに配ったという話が多かった。自分のために使いなさいよ、といいたいところであるが、それは入所者の自由であろう。その理由というのは、自分がハンセン病であったために、親戚などが、いろいろ差別されたりしたであろう(事実であろうが)、ということであった。進学や就職や、そういうことに使いなさいという話も聞いた。勿論自分のために、立派な背広を作ったりした人もいた。縁起でもないと言われるかもしれないが、宮古では、亡くなられた時に、一番いい背広を着せてお棺にいれる習慣もある。そういう結果になった人もおられた。
 

家族の問題(3)

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年11月19日(水)04時50分36秒
編集済
  殺人事件があれば、その家族の方の中の行方不明者が重要参考人になるのは、これはしかたがない。

 ということで、某療養所に聞き込みにきた。その方(重要参考人)が以前ハンセン病療養所に入所していたからである。勿論入所されたのは小さい時で、今の話ではない。現在の情報その他なく、現在でも犯人はみつかっていない。死体放棄場所が私のいく散歩道からちょっと外れたとこにあった。南無阿弥陀仏。

 蛇足:宮古島は周囲100キロ。平たい山とてない島で、大体開墾しつくされている。ところが、時々人が居なくなるのである。老人ホームからいなくなって、探したが出てこない、ということがあった。私は前からユタさんに頼めば、という意見があるが、行方不明者を探すことは、ユタさんの仕事ではないようである。
 

家族の問題(2)

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年11月18日(火)05時23分41秒
編集済
  某県の家族の問題

 詳しく書くとまずいので、某県と書く。その家の女主人が、ハンセン病に罹り、恵楓園に入園したのであるが、子供もあり、家はタイヘンであったようだ。子供の進学時期でもあり、その女性は無断外出を敢行した。最初入園したのは昭和時代であったが、日時が経過し、その時は平成の始めでもあり、そういうことも、可能だったのだろう。恵楓園にはつらい思い出ばかりらしく、そちらの方は向かないという仰せであった。私には衝撃的であったが、それはそうなんだろう。小生は当時らい指定医であった。頼まれて診察にいったわけである。それもその人の申し出から発している。自動車でいったが、その県の係官と一緒だったと思う。

 もう治ったとしてください。という要望もあったが、私の診断も治癒したと診断した。そしてそのような手続きをとった。

 極めて当たり前の話であるが、患者数が一人減るわけである。少々微妙な感覚があるのは、そういう話はタブーで、なるだけ、患者数を減らさないようにと自治会はいっていた。しかし、いわくいいがたし、ということなんだろう。

 理由はおわかりと思う。幽霊患者のことである。それは、患者さんを調べましょうといっても、そうならない。ある例であるが、きっかけがあり、調べたら10年前に死亡していた。その間の厚生省のお金はどう処理していたのだろう。何の御咎めもなかった。

 Wikipedia幽霊を調べたが、そういう言葉の使い方は載っていませんでした。

 その後私は南海の療養所に転勤したが、自治会自ら、幽霊退治をしたと聞いた。判りにくい話を読んで戴いて有難うございました。
 

家族の問題 (1)

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年11月13日(木)22時11分9秒
編集済
  非入所者・家族・遺族の問題といっても、うち家族の問題はそうとうややこしい。

 宮古南静園で最初に裁判に参加した人は2人であった。一人は親里さんで、意見は明確で、本も書いておられる。皆さんも、それを読むと納得されると思う。あとの人の話は、勿論裁判で述べたのであるから明白であるが、それはそれは、もうモノスゴイ物語であった。

 物語の首座は沖縄本島である。戦後の沖縄本島では、チャンスがあった。その人は自動車工場を建てて、成功した。妻を得て、もちろん子供も産まれたのである。ハンセン病がどの時に発病したのかは、知らない。妻の親戚の知るところとなり離婚した。闘病した。また、結婚した。子供が産まれた。また、離婚した。子供が産まれた。何度であったか、成功したり失敗したり、結婚したり離婚したり、その子供の数は忘れたが相当な数になる。最後は宮古南静園にきたが、その時でも、家族の話はまといつくのである。

 裁判でそのことを述べるのもモノスゴイ話である。当然家族、親族、数が多い。どういうふうに結末になったか忘れたが、それは、やはり、家族の問題もあろう。

 その家族も差別されたり、ということであれば、なかなか問題は解決しない。しかし、私はナントナク、こういう話は沖縄では可能ではないかと考えている。沖縄はそういうことが可能な土地なんである。もちろん誉めているのであるが......
 

非入所者・家族・遺族の問題

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年 9月30日(火)01時35分20秒
編集済
  非入所者・家族・遺族とて、ニホンのハンセン病政策の犠牲者である。しかし、同じ待遇をうけるのも、中々難しい。

 沖縄県某島から、全然入所暦のないひとが診察にこられたことがある。友人と一緒であった。私は詳しく診察して、ハンセン病に罹患していたことの証明書を書いたことがある。それは役に立ったのか、どうかはわからない。しかし治療はされていた。大風子油の注射の跡があったのである。その跡は明瞭であり、他の疾患では、注射をするはずもない。また、感覚の検査もした。しかし入所暦がなく、どうして注射したのだろうと考えた。いろいろ便法もあったようである。DDSも、これは戦後であるが、入手できたらしい。闇のルートというのはトウゼン考えられる。

 家族の問題も深刻であった。家族とて差別されるからである。家族は援護家庭として、県から援助があったが、らい予防法がなくなったら、それは生活保護に変わった。今までどうされていたのですか、と聞かれることになる。いろいろ隠しても実は判っていたという。

 私が某県で聞いた話である。療養所に入所しない場合であるが、家族にハンセン病がでたら、皆県外に就職する。一人が犠牲になって(?)その患者を介護するということであった。別に小さい家に住み、隠れていた患者さんもやけどをされてから入所したこともある。

 もう治っていますよ。そういう報告をして、縁を切りましょう、と言ったこともある。しばらく考えて、何かあったら困るから、と、言われたこともある。目に見えない周囲との壁が問題ではないか。
 

少年犯(婦女暴行)の氏名発表

 投稿者:20歳  投稿日:2008年 6月21日(土)16時50分42秒
  少年犯罪者(婦女暴行)を発表します。

湊 伸治:S47年12月16日生
    H19年まで寝屋川市で福祉の仕事したが解雇される。
    H18年の秋リュヒテンシュタイン人(?)と結婚
2.横山 裕史(旧姓=宮野):S45年4月30日生
    H19年 川口市蓮沼298メゾンハイビス(栄ハイツ)201
3.渡邊 恭史:S46年12月18日生
     横浜市(?)生活保護 姉夫婦と同居 母親=渡邊ヤス
4.相田 孝一(旧姓=垣東):S47生、妻と娘2人
     H18年に長女が中学入学、このとき離婚し直ちに再婚
     妻の旧姓(相田)に改姓。 次女は来年小学校入学の年頃
5.神作 譲(旧姓=小倉):S46年5月11日生
6.共犯者 = 湊 靖人(父70歳)、湊 ます子(母69歳)
       湊 恒治(兄、S47年1月21日生)

 女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人(当時、少年)です。
足立区綾瀬で帰宅中の女子高生を拉致し、湊伸治の自宅に40日間
監禁し、あらゆる性的虐待をしました。湊の両親は女子高生が助けを
求めても無視しました。少年たちは、女子高生の陰部にドリンク瓶を
入れたり、タバコをいれたりしました。女子高生が逃げようとすると
手足に揮発油を塗ってライターで火を着け、泣き苦しむのを見て
笑い転げました。発見された遺体は、栄養失調で痩せこけ、乳首が
焼かれて溶け落ち、歯はほとんど折れていました。
日本では裁判日数も刑務所の服役期間に算入されるので、少年たちが
服役したのは最高でも6年半でした。主犯の宮野(当時18才)も
H19年2月刑期を免除されて千葉刑務所を出所しました。
 

全国ハンセン病弁護団協議会の「日本からの報告」として、韓国の国家人権委員会に報告した遺族・非入所者問題の訴訟和解の内容!

 投稿者:滝尾 英二(TAKIO EIJメール  投稿日:2006年11月19日(日)12時52分1秒
編集済
   【検討資料、2006年11月19日=滝尾英二】

 2025年7月12日に、韓国の国家人権委員会に対して行った「全国ハンセン病弁護団協議会」からの「日本からの報告~ハンセン病問題解決の為の取り組み~」(2005年06月20日)のうち、「5 遺族・非入所者問題の訴訟和解」の項目の内容です。昨年(=2005年)7月現在、全国ハンセン病弁護団協議会が、「非入所者の遺族・家族の被害問題の解決の為の取り組みが、なされていない状況がわかります。

 参考までに【討議資料】として、『滝尾英二的こころ』の掲示板 ★非入所者、家族・遺族の問題を考えるために★ のところに掲載しておきます。

               人権図書館・広島青青丘文庫  主宰 滝尾英二

******************************************************************************

 下記資料は、2025年7月12日に韓国の国家人権委員会に対して行った「全国ハンセン病弁護団協議会」が、「日本からの報告~ハンセン病問題解決の為の取り組み~」(2005年06月20日)として行なった「5 遺族・非入所者問題の訴訟和解」の項目の内容です。(滝尾)



5 遺族・非入所者問題の訴訟和解

(1) 入所歴なき原告との和解

 ① 「入所歴なき原告」とは、らい予防法が廃止された1996(平成8)年4月1日までに、ハンセン病を発症したが、療養所に収容されることなく社会内生活を送っていた者で訴訟の原告となった者である。

 ② 熊本地裁判決の対象となった原告は、いずれも療養所在園者もしくは入所経験者(退所者)であり、入所歴のない者は判決対象者には含まれていなかった。しかし、隔離政策の被害者は療養所への入所経験を有するハンセン病患者、元患者に限られない。

 入所歴なき原告は、社会内での生活を続けているが故に、むしろ療養所に収容された者よりも社会の偏見差別を激しく受けてきたといえる。
 たとえば、ハンセン病であることが周囲に知られ、本人のみならず家族までもが地域社会から排除されたり、厳しい偏見差別を恐れるために、辺鄙な場所に一人で小屋を立てて生活する、自宅に閉じこもったまま人前には出ないように暮らす等、地域社会における生活基盤そのものを失っていた。

 また、隔離政策は、ハンセン病の治療を療養所のみに限定した結果、入所暦なき原告らは、医療を受ける機会を奪われ、重篤な後遺症を遺したり、誤診による不必要な身体侵襲を受けるといった医療上の被害を被っていた。

 ③ 熊本地裁判決は、判決書の理由中で「療養所に隔離収容されたことによる被害」(隔離被害)のみならず、「隔離政策が予防法の存在とあいまって作出・助長したハンセン病に対する誤った認識(偏見)により、ハンセン病患者が様々な差別的処遇を受ける地位におかれたことによる被害」(スティグマ被害)を併せて共通被害と認定し、これにより「地域社会において平穏な生活を営む権利を侵害された」と指摘している。

従って、熊本判決の考え方からすれば、入所歴のない原告も、入所歴のある原告らと同様に、隔離政策の被害者として救済されなければならないことは明らかであった。

 ④ そこで、原告弁護団は国に対し、入所歴なき原告に対する賠償金(和解金)の支払を求めたが、2001(平成13)年6月23日に、全国原告団協議会と厚生労働省との間で成立した基本合意では、入所歴なき原告についての賠償金(和解金)の支払については、合意に至らず、今後の協議課題とされるにとどまった。

 そこで、原告弁護団は、国に対し、入所歴なき原告に対する和解金の支払を求めて交渉したが、国は協議の席につくことすら拒否したため、熊本地方裁判所において、再度判決を求めて立証活動を進め、入所歴なき原告の証人尋問等を行い、入所歴なき原告らの被害の実像を明らかにした。

 ⑤ これを受けて、2001(平成13)年12月7日、熊本地方裁判所は、入所歴なき原告についての被害を認定し、発症時期に応じた和解一時金の基準額を示して、和解解決を勧告した。

 原告弁護団はただちに裁判所の和解所見に応じる旨の回答を行なったが、国は和解協議に応じることに難色を示した。

 その後、熊本地裁は3度和解所見を示して和解を勧告、原告弁護団も各方面に働きかけて交渉を重ね、その結果、2002(平成14)年1月28日、全国原告団協議会と厚生労働省との間で、入所歴なき原告に対する謝罪と和解一時金の支払いを確認した基本合意が成立するにいたった。
 そして、この基本合意に基づき、順次入歴なき原告と国との間で和解が成立し、和解金が支払われている。


(2) 遺族原告との和解

 ① 「遺族原告」とは、提訴前に死亡した療養所在園者もしくは入所経験者(退所者)の法定相続人である。

 ② 隔離政策の被害者である本人が、提訴前に死亡したとしても、死亡する前に発生していた損害賠償請求権は、相続法の考え方に従えば、当然、その法定相続人に、法定相続分に応じて相続承継されるはずであり、遺族原告は、本人の請求権の承継者として国に対する賠償請求権を有する。

 ③ しかるに、2001(平成13)年6月23日に、全国原告団協議会と厚生労働省との間で成立した基本合意では、遺族原告の問題は入所歴なき原告と同様、今後の協議課題とされるに止まった。その後の交渉でも、国は和解拒否の姿勢に固執し、容易に解決には至らなかった。

 ④ そこで、原告弁護団は、入所歴なき原告らとともに、判決を求めて立証活動に入った。その結果、裁判所において、遺族原告については死亡時期に応じた和解一時金の基準額を具体的に示した和解所見と和解勧告が出された。これを基に、遺族原告に対する賠償金の支払いを求めて交渉を重ね、遺族についても先の平成14年1月28日の基本合意において、和解により賠償金(和解金)を支払うことが確認された。
 その後、多くの遺族がこの基本合意に基づき、遺族として和解金を受領している。

 ⑤ 遺族原告への賠償金の支払いは、法的には相続法理に基づくものであり、遺族の被害そのものが問題となったわけではない。しかし、遺族はハンセン病者の家族として、直接に、あるいは間接に、居住、職業、結婚の差別、学校や地域でのいじめ等を受け、家族が療養所にいることを隠し続けながら生活するなど、大きな被害を受けている。特に、親を療養所に奪われた子らは、ある者は親の入所に伴い、園内の保育所等に入れられ、ある者は親戚に育てられ、その中には親の戸籍に入れられない者もあった。そうした家族の被害に対しては、いまだ国の謝罪はなく、多くの家族がハンセン病のことを隠して暮らしているために、その被害実態すら明らかになったとは言えない。現在、弁護団では家族の被害実態を明らかにする作業に着手している。

 ⑥ なお、在日韓国人で日本国内の療養所に入所していた者の遺族も、同様に損害賠償請求権を相続したとして和解の対象となっている。こうした遺族の中には韓国籍の者、韓国在住の者も含まれている。ただ、近時になり、国は突然に国家賠償法施行(1947年)以前のみの入所者の遺族について、国家無答責を理由に、和解を拒否する意向を示している。この理由により和解を拒否されている遺族の中には、韓国籍・韓国在住の者が含まれており、この問題の解決が今後の課題となっている。

                            (以下、省略=滝尾)。
 

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