|
|
【11月7日〜9日までの私の日程と、その間、感じた所見】
11月7日(火)14:47分のJR広島着の「新幹線」で、川邊嘉光さんが訪広された。広い駅構内での待合わせ場所の意思疎通があり、ふたりとも駅構内を行ったり来たりで、だいぶ、川邊嘉光さんとお逢いするのに時間がかかった。しかし、お逢い出来、一緒に宿泊されるホテルまで行く。
翌日の鳥取県の北栄町の高橋正典さんを訪問するため倉吉駅前までの「高速バス」のキップを川邊嘉光さんと滝尾は購入。それから、広島市在住の川邊嘉光さんのお友だちとその夜は、夕食をともにすることに約束した。
初めてお会いした方であったが、川邊嘉光さんのお友だちの方は、すばらしい方だった。ご夫妻でお出でになったが、夫人の方も感性豊かなお似合いのご夫妻であった。夕食後は、スナックへ二次会に行った。そこでカラオケで歌謡曲を歌ったが、川邊嘉光さんも、お友だちの夫人の方も、びっくりするほど上手に感情込めて歌われ、また、話もはずんで、そのお店を出たのは、午前1時半だった。再会を約してその日はお別れした。
11月8日に帰宅し、パソコンを開くと返信の必要なメールがあり、また、福留範昭先生からの「韓国の過去問題に関する記事」も滝尾宛てに届けられていた。メールの返信、『滝尾英二的こころPart2』の掲示板への投稿を済ませ、入浴を済ませると、午前4時を回っている。倉吉行きの「高速バス」が、広島バスセンターを発車する時刻は、午前7時30分である。2時間ばかり仮眠し6時に起床。朝食もそこそこで、6時半の自宅前のバス停車場から、広島バスセンターへ行く。
川邊嘉光さんと「高速バス」に乗り、JR倉吉駅前へ着いたのが、11時過ぎ。高橋さんの住いのある「北栄町」行きのバスが倉吉駅前から出るのは、待合の時間が1時間余りあるので、駅待合室にある食堂で昼食。それから「北栄町」役場前には、午後1時半。挨拶に「町役場」の健康福祉課長と同係長にお会いし、出納長にも、挨拶をして役場を出た。私が9月19日から「北栄町」役場まで来たのは、今回を入れて4度目である。
役場から高橋さんの宅へ向う。途中で私たちを迎えに高橋さんが迎えに来てくれていた。昨日は寒かったが、8日は陽が照っていて暑かった。高橋さんは、私たちの昼食を準備して待っていて、薩摩芋の塩をつけての蒸し焼き、野菜の料理などを食べるようにすすめてくれる。そうしていたら、九州在住の「支援者」の方から、川邊嘉光さんに長時間の電話がかかってきた。12月上旬には九州の地に高橋さんを招いて、話を聞くという、その打合せの電話のようだった。
私は、現在の高橋さんは、所在地の北栄町で「生活と健康」に専念することが必要だし、県外に話などしに行くということには、現在の状況では無理がある、まず北栄町での人間関係を大切にし、おだやかな生活を当分は送ってもらいたいと、考えている。
高橋さんの話を聞きたかったら、北栄町を訪問し、また、高橋さんや北栄町の福祉関係者や医療・生活関係者の人たち、また、北栄町の役場や教育委員会の人権関係者関係者との懇談も必要だと思う。私は、9月19日以降も、そのために北栄町を何度か訪問してきている。だから、九州在住の「支援者」の方から、川邊嘉光さんにかかった長時間の電話を側で聞いていて私は、不快感と同時に、九州在住の「支援者」は、高橋さんを支援する方途を間違えている、と感じざるを得なかった。
その直後、「韓国の定着村の補償法申請者の資料収集」の問題で、滝尾に電話がかかってきた。広島の自宅から韓国に国際電話をかける必要もあった。
高橋さんへの支援は、3年余り前の2003年10月30日に「高橋さんの『鳥取事件』を知って以降、私の可能な限り、やってきたこともある。そうして、九州の高橋さんへの支援のやり方には、私とは大いに意見は相違する、否、間違っていると感じながらも、糖尿病、腰部脊柱狭窄症で歩行がママならぬ持病をもつ私は、今日かぎり、九州などの若い方がたに、高橋さんのこと「支援者」の方がたに、今後はバトンタッチしようと考えるようになった。私は、高橋さんの支援に無力であることを自覚している。
川邊嘉光さんは、「今晩は高橋さんの家へ泊まって一緒に話し合おう」と言っていた。しかし、その川邊嘉光さんとて、九州在住の「支援者」と同じ考えではないか。
私は、二人を振り切る気持ちで、11月8日の夕刻、「北栄町」を去って、倉吉に帰った。これが、九州在住の「支援者」へのプロテストである。こうした支援者とは、行動をともにはできないと思った。
私のホテルは行事がある為かどの倉吉のホテルのどこのホテルも満杯だった。もう一度、思いでの多い「松江」の地を訪ねたい気持ちになり、JR倉吉駅から松江行きの午後7時過ぎの列車に乗った。松江駅に下車して、今年9月17〜19日に宿泊したホテルへ一泊し、翌9日の早朝、松江駅前から広島バスセンター行きの「高速バス」に乗車した。
したがって、『滝尾英二的こころ』の「非入所者、その家族・遺族の問題」は、今後も重要な課題として、継続して掲載記事を書き続けるが、高橋正典さんのことは、直接的には書かないこととする。そのことは「こころ残り」であるが、鳥取県や九州、更には東京・関東、関西などの高橋さんの「支援者」たちが、今後は高橋さんの「支援活動」は行なっていかれるだろう。その結果はよい方向にはなりそうに思えない。しかし、今後は、そのことを見守っていくことにしたい。
2006年11月10日(金) 人権図書館・広島青丘文庫 主宰 滝尾英二
|
|