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非入所者・家族・遺族とて、ニホンのハンセン病政策の犠牲者である。しかし、同じ待遇をうけるのも、中々難しい。
沖縄県某島から、全然入所暦のないひとが診察にこられたことがある。友人と一緒であった。私は詳しく診察して、ハンセン病に罹患していたことの証明書を書いたことがある。それは役に立ったのか、どうかはわからない。しかし治療はされていた。大風子油の注射の跡があったのである。その跡は明瞭であり、他の疾患では、注射をするはずもない。また、感覚の検査もした。しかし入所暦がなく、どうして注射したのだろうと考えた。いろいろ便法もあったようである。DDSも、これは戦後であるが、入手できたらしい。闇のルートというのはトウゼン考えられる。
家族の問題も深刻であった。家族とて差別されるからである。家族は援護家庭として、県から援助があったが、らい予防法がなくなったら、それは生活保護に変わった。今までどうされていたのですか、と聞かれることになる。いろいろ隠しても実は判っていたという。
私が某県で聞いた話である。療養所に入所しない場合であるが、家族にハンセン病がでたら、皆県外に就職する。一人が犠牲になって(?)その患者を介護するということであった。別に小さい家に住み、隠れていた患者さんもやけどをされてから入所したこともある。
もう治っていますよ。そういう報告をして、縁を切りましょう、と言ったこともある。しばらく考えて、何かあったら困るから、と、言われたこともある。目に見えない周囲との壁が問題ではないか。
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