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そうかなぁ:文献はなにだろう

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年12月23日(火)04時54分17秒
  通報 編集済
  >2008年12月22日『ショアー』すっかりご無沙汰してました、●●●●です。

>最近、大学の文化人類学の授業で、『ショアー』というナチスのユダヤ人強制収容所、アウシュヴィッツの生き残りの人たちの証言を編集した、ドキュメンタリー映画を観る機会がありました。

>ハンセン病の隔離収容政策は、よく日本のアウシュヴィッツとも形容されますが、この映画を観てみてその理由が少しわかったような気がします。

>とはいっても、実際の映画は8時間にも及ぶ超大作、授業で見れたのはその中のほんの30分と、全貌を把握しているとはとても言えないのですけれど。

>ナチスによるユダヤ人抹殺計画の特徴は、最初に老人や体の弱った者から殺していって、その死体の処理を労働に耐えられる体力をもった人々に課したという、その効率的な機能性にあるのだそうです。

>ここで思い出すのは、恵楓園でも「軽傷者が使者を焼いた、自分の手で仲間の体を焼かなければならない辛さは、なかなかそうぞうできるものではない、みんな泣きながらやっていた」という園内めぐりで案内していただいた、NさんやMさんの火葬場についての話です。

>実際、せっかくアウシュヴィッツから生還しても、罪の意識からなのか、その後自殺してしまった人も少なくないそうなのです。

>その一方、できるだけ効率的に殺すことが可能なシステムを統括していたナチスのアイヒマンという男は、なんということもないじつに官僚的な、家に帰ればごく普通の家庭人といった人間だったということです。

>したがって、彼はそもそも与えられたルーティン(日常のきまった仕事)を忠実にこなしてきた自分が、どうして罪に問われなければならないのか理解できなかったと。

>この事実についても、ハンセン病の絶対隔離政策下の怖ろしい人権侵害が、隔離にかかわった人たちの、想像力を欠いたルーティンによって支えられたという、共通項を指摘できるのかもしれません。

>こうして考えてみると、話は飛躍しますが、国家とか民族などのイデオロギーに依拠し、システムに安住することが、無意識の悪意となって、マイノリティや周縁にいる人たちを、抑圧し差別することにつながるとすれば、ハンセン病にしてもアウシュヴィッツにしても、決して過去にあったことではなく今につながっていて、これからどのようにしていくかが、問われていく問題なんだなあと、あらためて考えだせられました。

●やはり、そういう文献を引用すべきであろう。
 
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