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らい予防法時代の大学

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2009年 3月18日(水)00時38分14秒
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  熊本大学前史:

 本妙寺にいってハンセン病を研究した医師がいたり、ハンセン病患者の病理解剖をしたりした記録がある。私立ハンセン病病院が出来たが、熊本大学において、どれだけ協力したかは、改めて調べる必要があろう。九州療養所ができ、熊本大学からも協力されたと思うが、皮膚科に関しては、診断はして九州療養所に送っていたようである。戦前であるが、宮崎園長が皮膚科の学会に出席した写真が残っている。

 九州大学:ここは各科毎の建物があった時代に、戦前から大きな皮膚科の建物の別の所からハンセン病患者が入っていて、診察治療を受けていた。志村康さんが診断を受けたのは戦後間もない時期であった。ここでは治療ができないから、菊池恵楓園に行けと言われたという。ハンセン病も梅毒も所謂梅毒血清反応が陽性なので、606号はいかんぞ、と宮崎園長が言ったと書かれている。診断を間違って606号を注射することは大いに考えられるが、あれがどうわるいのか、Ichiroはよくわからぬ。(砒素剤であるからか)
戦後であるが、細菌学教室に韓国の柳教授が留学され、菊池恵楓園に研究材料をもらいにきた、と小生に手紙で語られた。

 九州大学皮膚科百年史によると、福岡県のらい指定医は、代々九州大学教授がなり、最後が九州大学出身の旭産業医科大学教授であった。県の係官が2ヶ月に一回グライ、患者をつれてきて、そこでDDSなどをやっていたという。たしからい予防法廃止までは続いていたのであろう。この話は旭教授から直接聞いたものである。

 東北大学、東京大学、大阪大学、京都大学:昔の旧制大学であり、ここでも九州大学と同様であったろうと思われる。金沢大学、長崎大学でもその可能性はあろう。DDS治療前は大風子油を投与していたようである。熊本大学は菊池恵楓園が近いので、どうも診断だけであったようだ。Ichiroの恩師は、診断に慎重であれと戒められ、自分の経験で、診断を告げてその帰途自殺されたことを常に話されていた。
 
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